昭和45年5月20日 夜の御理解
今あの、御祈念前に、ちょっと今日金光青年が来とって、開いたところに、もうこれは、大正、9年のころ、おぉに、まあしょうせん学かなんかの学生であったというのですから、もう昔の話しなんですね、その方が書いておられる記事が出ておりました、えっ、熱心に信心をしておられたんですね、それが、う~ん、肺結核にかかられて、まあその当時、この肺病というのは、もう村でも村八分になると言うくらい、えぇ、もう、絶望しされた、まあ病っ、しなければ仕方がないほどしの、まあ病気だった、今では、さほどの事はないですね、結核といやあ医学が進んでおりますから、まあそういう時代の、おぉ、それで、もういよいよいけないというので、自殺をはかる、「もう自殺しよう」とまあ心に決めて、山に登られて、からその山で、えぇ、たつおいつ、あぁその、死ぬ方法を考えておられる時に、突然、おぉ、それこそ青天の霹靂でしょうね、神の声を聞いたというのである、その時にその、神のみ教えがね、「生きても死んでも天と地はわが住家と思えよ」と、「天に任せよ地に縋れよ」というその、声をはっきり、その耳にしたと言われる、そこからもう一心発起ですかね、え~、とにかく毎朝川の水で、みそぎをして、そして教会にお参りをして、まだ御門がかかっていない、その御門前に座り込んで、御祈念をするといったようなまあ、熱烈な信心、サンフランシスコの(ふくや先生?)が修行された教会の方らしいです、そしてあの、え~、(ふくや先生?)がなさったように、教会の高い天井を毎日拭く事を、されるようになられて、毎日この~、血を吐いておられたのが、やむ、御飯が頂けるようになり、ついには全快をしたというその、おかげ話しなんです。
ですからもう、そうじゃら、私共こういう話しを、もう私共実際小さい時から自分、私自身も受けてきておるし、 (お茶を飲まれる) いよいよの時には、一心を持って縋れば、こりゃどげなこってんおかげを頂けるのが金光教の信心だと、いうような考えを持って、その日頃は、まあサボテンの信心を打ち込んで、いよいよの時には、まあ命懸けで信心したらといったようなものを、まあなんとはなしに持っているですよね、私はあの、合楽では、あの、そこんところですね、そりゃあ大変なそういう死ぬか生きるかといったような場に立たされて初めて、一心発起すると、まあ言うならば大変な危険な事ですよね、もう死んでもままよという、ぐらいな気持ちで、その事に打ち込むのですから、え~、けれども合楽の場合はですね、日常生活の中にいつもがそういう、場を私共は頂いていこうとしておる、いわゆるその、「親先生任せ」とか「神様任せ」とかいう、生き方なんですね、ですからもう常日頃にですね、そういう任せきった生き方といったものが、いわゆる「天に任せて地に縋る」っていうことをいう、その~、生き方と、ね、という様な中から、なるほど、おぉ生きても死んでも天と地はわが住家と、思わせて頂けれるほどしの境地もだんだん開けてくるし、いぃ、まあ、あぁ、信心させて頂く者の、本当の有難さというものを、そこからね少しずつなりとも、体験させて頂こうというのが、私は合楽の信心だと思うですね、ですからもう日々がそういう生き方なんです、と言うて、うんなら、それはこのように厳しいことではない、ね、もうそれが信心生活とさえ、まあここでは言っておるわけです。
今日、あの、朝の御祈念の後に、高橋さんが参ってみえられましてから、えぇ、東さんの事をお届けされました、皆さんもご承知でしょうけれども、今病院で、え~、今度、回復手術を受けるために、今その準備中なんです (お茶を飲まれる) 自分が参ってきて、あれは何でしたかね病気は? うん? たんのうえん? 胆石を切開手術をしてその、取り出すと、そしてついでに盲腸も取ってもらうと、まあ取ると先生がおっしゃるわけなんです、でそういうために、現在その、その治療を受けておられる、二・三日前、あちらのあの、家族中で、え~、お願いお参りして参りましてから、「もう内のお父さんはもう大変な臆病だ」と「臆病人で、もう手術することが恐い、い~、恐いとこう言うておる」と、けれどもそのあちらへ行ってその、なんか保証人がいるのに、二人いるのに一人しか出来なかって行ったところが、どうでも二人いると言われた、したら丁度そういう風に、なるほど誰かもう一人お願いしじゃこてと言いよるところへあの、なんて、皆さんも知っておるでしょうかね、山本くんって言うて、当時あの、二人とも学生時代にここにお参り、一生懸命参ってきました、今それが、その後医大に行っておるという話しは聞いてましたけれども、おぉ耳鼻科を選考して、そこの耳鼻科のお~、お~、まあ責任員になっておるということで、ほれで偶然そこで東さんと合いましてからね、それこそ肩叩きよって、「ほ~どうした、お前ここに居ったか」と言うて合ったことだったらしいです、そしてその保証人がいるとかいらないとかって言うことでね、ん~「そんなら僕でよかったら僕が、あ~、保証人になろう」ということで、まあおかげを頂いたと、そういうようにですね、何か知らんけれども病院に行ってからこっちもう置いた物を取るように、「万事の上に神様の御しゅごうを受けておるなぁ、これだけ御しゅごう受けてから修行するのだから、あ~少し安心が出けてきた、というようにそのお父さんが言うとります」って言うて家内が来て言いよりましたが、確かにそりゃぁ、そういう働きを受けておる事は間違いない、安心して手術台にものぼれれるようなね、臆病な者でも、まあ、あ~、そこに安心がいくような、お繰り合わせをその前後にね、下さっておる事をはっきり私も感じます、東さん自身もそれをまあ感じているらしい、そういうおかげを皆さんも、まあ、体験されておる事だと思うですけどね。(お茶を飲まれる)
そこでですね、思うんですけれども、その時も、あの、お届け、高橋さんからだったでしょうか、丁度見舞いに行かれたら、今朝からお夢を頂いたと言うてその、東さんが言う事がですね、もう手術をしてもらっておる、その手術をしておられるのがここの久富先生だっち言うんです、というようなその、お知らせだったっち言うんですね、どういう事あろうかと、(?)たったんです、それで私が、そうだな、あ~、うん、例えてね、例えて言うならば、例えば今日私が申しますように、いつもが天に任せて地に縋っておるというか、任せきっての信心生活が出けておる、任せきるからには修行が出来らなきゃ任せきりゃしません、そういう修行が日頃出けておるならね、おそらくは医者にかかろうとも、手術しようとも思わなかっただろう、ね、またそれでおかげを受けていけるだろう、ところがそこに、手術をするということに、その段取りがなったという事は、その一つ手前のところの信心ですね、まあおかげを頂く信心です、私の生き方はいつも言わば、天に任せて地に縋らせてもらうということは、もう任せきっての信心ですから、神様がまた私任せになって下さるというようなおかげなんです、ね、ですからいつも私任せになって頂いておる体験を、その、この現場に現しておるわけなんです、ね、ですからその任せきれるわけ、ところが、あの、東さん、こういう、具合が悪くなって、「医者が「手術した方が早い」と言うから」と言うので、ここにお届けに来ましたから、「なら手術したがよかろう」と私が申しました、それでまあ手術する気になったらしいんですよ、そして頂いたお夢がそれなんです、だからその、うん、私の生き方よりかちょっと程度の低い生き方でいったわけですね、いわゆる久富先生の程度の生き方でいったわけ、ね、ですからそれは手術さして頂いて、まあおかげを受けるという事だろうと、という事を私は高橋さんに言い持たせましたから、高橋さんがまたその事を、東さんに言うたわけなんです、ところがその、これほどの神様の御しゅごうの中にするのだからっていう安心はあるけれども、どっちかっち言うとなら、(?)ついとるとですね、だからもうあん時に、その僕はその親先生にお届けした時に「もう手術はせんでおかげ頂け」とおっしゃりゃあ、手術せんつもりじゃったと、今からでもおそくないから、僕はそういう風に思うたっち言やあいいけんで、手術せんなら、せんほうが良いっちいうようなことを高橋さんに言うそうですもん、「だからもうおそか」って私が言う、皆さんそこにきは一つ考え頂かにゃいけんですね、うん、今うんなら私が手術するなと言うなら、なら親先生任せになって「はい」って言うて、なるほど病院も変りもしようけれども、それではね、ならこの病気なら病気が、そんなに例えば手術をするほどに、鮮やかなおかげになって来ないかも知れんですそれでは、ね、今から思い直したごんなこっちゃいかん、そこに信心のね、いわゆる神様と私共の、働き合いの機微というものがあるんです、ね先日から頂きますように、もうそういう事がですね、これは神様にだって霊様にだっておんなじ、その、一本勝負というものがね、真とか真心というか、一生懸命というものは一本勝負なんだと、もう一遍手術をする事に決めておいて、今からでもお縋りして、親先生が、あ~、手術すんなとおっしゃりゃぁ、今からでも、もうたっ、病院を、その~、帰っても手術するがええせんでもええと、いうような考え方はね、もうおそかて、今日高橋さんに、おそらく持って今日行ってどの事を言われた事であろうと思う、もうおそいとかおそくないということはですね、あのかまわんという意味じゃないって、いわゆる第二次的なですね、意味でもいいから今度はおかげを頂けという事なんです、手術をしておかげを頂けって、けれども常日頃信心さして頂いておって、よしどげん腹がせっくるごとせっ、せこうがですよ、ね、どういう例えばうんなら場合にあたったっちゃ、「おい御神米くれ、お神酒さんくれ」と、で、もう、これでおかげ頂けん時にはそれこそ死んでもままよという心ですよ、そういう稽古が日頃常にね、いうことが天に任せ地に縋った人の生き方なんですよ、だから親先生なら、私ならもう当然病院になら行きませんよっとこう言うとこなんですよね、病院に行く事が良い悪いじゃない、けれども私おかげを頂くという事よりもね、やはりお徳を受けるというとまあおくがましいですけれどね、そのおかげを受ける以外の物を頂くというのがいつもの私共の信心の姿勢じゃなきゃいけないということです、ね、ですから、私共がですね、まさかの時には、今いわゆる死んだ気になってままよという気になって、いわゆる天に任せて地に縋らせて頂くような、信心もさして頂ける、最後にそういう手が残っておるから、なんとはなしに、え~、いよいよの時には神様にお縋りするといったような生き方ではなくて、もう常日頃日々がね、その生き方でなきゃにゃいけないっち、ねその生き方が日々の上に現されていくという事は、私の今の生き方、いわゆるそういう、う~、最高の境地といったようなものがね、ここに開けてくる、いうなら最近私が言っておる和賀心学なんである、ね、そういう一つの、道というものを毎日辿らせて頂いておるなら、いよいよの時にびくともする事もいらんし、また迷う事もいらん、お伺いする事もいらん、お願いはしても、ね、そういう私は信心をね、日々いただっ、あの、頂いていけれるね、いく、信心をさせて頂くという事が、本当言うたら、神様の願いで、ほなかろうかとこう思う。
「生きても死んでも天と地はわが住家と思えよ、天に任せ地に縋れよ」私共がいつもがね、天に任せて地に縋った生き方、からでないと、本当の信心の、あぁ信心を頂く者の、信心の本当の喜びといったような、生活というか、それに、触れていくおかげは受けられない、ここで、ただ、わっ、分からせて頂く事はね、うんならそういう私の生き方、ね、大坪総一郎的生き方、久富一郎的生き方、この久富一郎的生き方、そこにはですね、もう本当にこりゃあ信心しとるという事は有り難い事である、こういう中にでも、自分のような臆病人でも、度胸が出来るぐらいに、このように前後にお守りを受けておるといったような、働きを受けておれるというだけでも大変有り難いですよね、東さんのその病院での様々な起きてくる事柄がです、「はぁ本当に神様っちゃあ間違いないなあ、こういう間違いない中で、え~、手術をして頂くんだから、安心して手術台の上にのぼれる」と思うだけでも有り難いでしょ、ただしこれはおかげの世界にしか繋がらないという事、ね、私共が、もう、願わくばいや神様が、あ、願うて下さっておることはです、また私共も願いとしなければならない事は、その世界からもう一歩前進したところをです、日々の生活の中に現していく、いつどんなところに直面してもです、どっこいいつでも腹がすわっておる、ね、腹が決まっておる、それは、私はままよという心だとこう思うんです、ね、そういうなら心を、ひとうていくということはですね日頃の事、いよいよん時には神様がござるから、いよいよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※テープが終わりました